群ようこ『還暦着物日記』
題名そのままの本である。
着物を着て日常(でもない部分も含まれるけれど)を過ごしなが、考えたこと、感じたことなどを日記形式でまとめた本である。
題名そのままの本である。
着物を着て日常(でもない部分も含まれるけれど)を過ごしなが、考えたこと、感じたことなどを日記形式でまとめた本である。
画期的な女性誌だった。ファッション中心の雑誌であるにもかかわらず、「作り方のページ」がない。既製服(あるいは特注の服) ばかりで構成されたファッション誌 で、写真も動的で、新鮮な魅力にあふれているのだった<略>それまでは服を見せるというのが主眼だったので、どうしても写真は服の細部までわかるように、 スタジオ内での静的というかスタティックなポーズだったのが、『アンアン』では服の細部を見せることよりも、その服を着たときの魅力をストレートに見せるために動的なポーズであったり、コーディネートの面白さもあったり、背景がらみの生き生き とした写真ばかりなのだった。(P22『アンアン』の衝撃)
装丁という仕事がぼくの営業品目の中でシェアを占めてきたのは、一九七二年の遠藤周作『ぐうたら人間学』(講談社)あたりからかな、と思います。 初めて装丁をしたのは六一年で、そのあとポツポツとやってはいたのですが、 数はそれほど多くはありませんでし た。(P7「1 装丁で忙しくなり始めたころ」)
最近話題になっているアメリカ空軍の特殊作戦機MC-130Jを水陸両用化しようという話に因んで、それに因んで、The War Zoneに1970年代に計画されていた『エアクッション』付きのジェット水陸両用哨戒機についてのストーリーが掲載されていました。
エアクッションを降着装置に使うアイディアの存在は知っていましたが、まさかそれを使った機体をグラマンと新明和が共同開発していたということは知りませんでした。
リンク先の記事ではマーチンP6Mシーマスターに似ているとありますが、BLCシステムの使い方などから、PS-1/US-1をジェット化した機体のように感じました。
どこかで歴史のいたずらがあれば、海上自衛隊もP-3CやUS-2を採用することはなく、このASR-544-4がPS-2/US-2になっていたかもね、という『来なかった未来』のお話を訳してみました。
The Turbine Truck Wars: Inside Ford and Chevy's Jet Age Battle for a Better Semi-Truck
Sixty years ago, Ford and Chevy's endless truck wars were a lot cooler.
1960年代、色々なものが「未来の」自動車の技術として試されたものの中には、あるものは時代の徒花として消え、人々の記憶から消えてしまったものが沢山ありました。
上記のリンク先で取り上げられているフォードとシボレーのガスタービンを動力とするセミトレーラー・トラックも、そんなものの一つ。
記事内でも触れられていますが、シボレーの『ターボ・タイタン』が博物館に納められ、資料も残っているの対し、フォードの『ビッグ・レッド』は1970年代に忽然とその姿を消してしまいます。
著者のPeter Holdrith氏は、その行方を根気よく探し続け、遂にそれを見つけることになりますが、この記事はそこに到るまでの序章といえるもの。
その過程が面白いので、一連のタービントラック関連の記事を訳して置いてきたいと思います。
まずは、その第1弾。フォードとシボレーのタービントラックの誕生から消長までの概説をどうぞ。
ネットワークに関わる人間にとって大事なRFCが発行されていた。
RFC8962 Establishing the Protocol Police (プロトコル警察の設立)
以下、序論 (Introduction) 以降を訳してみた。
Ineos Grenadier Debuts As A 'Form-Follows-Function' Off-Roader (moter1.com)
イネオス・サイクリングのスポンサーであるイネオスが、機能重視のオフローダー「グレナディア(Grenadier:擲弾兵)」を作るために自動車メーカーを立ち上げ、そのプロトタイプを公開したという話題。
見るからにアレだ、と思ったら、元々は「オリジナル」ディフェンダーの権利を買い取ろうとしていたようですね。
それにしてもイネオスのCEOが冒険家としての顔も持っていたというのは知りませんでした。
と、いうことで、以下、勝手に訳してみました。
RALLY CARS 26 "TOYOTA CELICA TURBO 4WD" 落掌。
タイトルが "GT-FOUR" ではなく "TURBO 4WD" なのがミソ。
Racers Vol.56 「ヨシムラGSX-Rの格闘」を落掌。
ヨシムラ(とスズキ)にとって待ち望んだ軽量ハイパワーの「油冷機」。
ストリートやライトチューンレベルでは、その軽量のメリットを享受できた油冷機が、レースの世界で勝ち続けようとしたとき、その特性故に軽量さを失いデメリットが目立つようになった時期のストーリー。
Opel Celebrates 50th Anniversary Of Its “Pony Car”, The Manta (Carscoopes)
フォード・マスタングが切り拓いた「ポニー・カー」の市場。
それに影響されて、オペルがアスコナの姉妹車として投入したのがマンタ。その登場から50周年を迎えましたよ、という話題。
マスタングに影響を受けて作られた車はマンタだけでではなく、北米、欧州、日本に幾つかあるんですが、概ね同じような時期に誕生しています。
いわゆる「ポニーカー」と、そのフォロワー達の登場年度を簡単に並べてみました。姉妹車も入れると沢山になってしまうので、メインの車種だけに絞ってみました。
さて、前回の投稿から1日開いてしまいましたが、Part2です。
如何にしてシーハリアーは、F-15の翼をへし折ったのか。『シャーキー』ウォード中佐インタビュー (Part.2)
こちらはPart1の開発からフォークランドまでの短い間のお話。
図らずもフォークランドへの「準備期間」になってしまった、この期間に複数のDACT(機種航空戦闘訓練)によって好成績を挙げたことが、結果としてフォークランドでアルゼンチンに警戒されたことに繋がったというお話でもあります。
元ネタの公開から、少々時間が経ってしまいましたが、Hush-Kitさんに掲載された、シーハリアーの開発からフォークランドでの実戦まで携わったパイロットへのインタビュー記事が面白かったので訳してみました。
『シャーキー』ウォード海軍中佐インタビュー。その1。 シーハリアーFRS Mk.1と空中戦について
ちなみに、この記事のインタビューイであるナイジェル『シャーキー』ウォード(シャーキー・ウォード)海軍中佐(シーハリアー開発、フォークランド紛争当時は少佐)は、シーハリアーの歴史に触れた書物では必ずといっていいほど名前が挙がる有名人です。
記事中にもある彼の著書”Sea Harrier over the Falklands” (Pen & Sword, 1992) は、フォークランドでのシーハリアーの活躍について知る際の必読書の1つに上げている書物もあります(和訳本は無し)。
それでは、以下、本文です。
The Air Currentというサイトに、現在飛行停止中のボーイング737 Maxの飛行再開に向けての承認プロセスについての記事がありました。
Boeing’s 737 Max software done, but regulators plot more changes after jet’s return
ボーイングとFAAは今月末までに正式な承認に向けた手続きを始めるが、合衆国以外 (ヨーロッパ、カナダ、中国、ブラジル) の規制当局との調整については不透明なまま。
それらをクリアにするための、欧州当局(EASA)が要求するAoAセンサーの数の問題、代替としての合成対気速度の使用などについて解説されています。
以下、勝手に訳してみました。
8年も放置していたblogをrebootしてみる。
こうしてみると、前回の投稿は4Sを使い始めてから1年後くらいだったんですね。
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