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2005/05/30

オースティン製図事務所

“ADO” ってのは “Austin Drawing Office” の略だと思いましたが、違ったかしら。

austin1300と、いうことでADO16です。近所(でもないが)で思いがけず見つけた1台。
これはオースティンの1300かな!?

初代ミニ、コードネームADO15で確立したエンジン横置きの前輪駆動、ハイドラスティック・サスペンションのシステムを応用した、ミニより一回り大きな2ドア/4ドアの5座サルーンがこれです。

ADO16はオースティン、モーリス、MG、ウーズレー、ライレー、ヴァンデン・プラの各ブランドに兄弟車が設定されました。基本的にはボディが2ドア、4ドア、2ドアワゴンの3種。これに1100、1300の2種のエンジン。そして各ブランド毎の「顔」の組み合わせがあります。
合計すると、結構なモデル数になりますが、これを全て諳んじるのは英国車好きの常識でしょうか。
当然、ワタシには出来ませんが(笑)。

さて、当時のBLはこのシステムがよほど気に入ったとみえて、この拡大版のADO17も作ります。
そのADO17を換骨奪胎したオースティン3リッターなんてモデルもありますな。

ちょっと調べてみたら、ADO16の後継であるADO67(オースティン・アレグロ、ヴァンデン・プラ1500)も、ADO17の後継であるADO71(プリンセス、プリンセス2)も、エンジンがOHVからOHCになって、足回りがハイドラスティックからハイドラガスになった以外は、基本は一緒なんですね。

ADO15(ミニ)がオースティン・セヴンとして誕生したのが1959年。ADO71の最終モデルオースティン・アンバサダーが生産終了したのが1984年。BL(BMC)は、実に25年に渡って同じフォーマットのクルマを作り続けていたことになります。
これはADO15を手がけたアレック・イシゴニスの基本設計が如何に正しく偉大だったかを示していると思います。

しかし、ブリテン島を離れ世界に目を向けると、日本ではホンダ・シビックが1972年に、ドイツではVWゴルフが1974年にそれぞれ登場しています。
いずれもここで説明の必要のないベストセラーカー。特に後者はその後の同クラスのベンチマークとなります。

これらのクルマがADO15のメカニズムに影響を受けているのは間違いないでしょう。
しかし、御本家である当時のBL(BMC)が、その後発のクルマ達を凌駕するクルマを生み出せなかったのは、偉大なる設計家の思想に拘泥し過ぎたためと考えるのは、少々意地悪な見方でしょうか。

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コメント

ADO16なんて、ふつうにそこに転がっているクルマという認識ですが、さすがに最近は見かけないですね。

イシゴニスとジアコーサは、クルマ1台まるごとメカからデザインまで手がけられた最後のデザイナーでしょう。もちろん「量産メーカーの」と言う注釈付きです。この人たちの後は「分業」で車を作るしか無くなってます。もちろんくせの強い「まとめ役」の人はいるわけで、某広島産スポーツカーなんてのは、その典型なんです。そこは人の子なものですから、まるまるわがままは通せないというか、「要求仕様」とか「コンセプト」みたいなものを伝えなくてはいけないもので、手ぬるい部分は残ります。

ADO系に影響された国産車だと、初代のチェリーでしょうか。

> akira isida さん
コメントありがとうございます。
いつもながらの鋭いコメント、ためになります。

元エントリでシビックとゴルフがADO15の影響を受けていると書いて、我ながら間違いではないにせよ、何か違うカモ、と思って、よーく考えてみたら、両車はメカ的にはダンテ・ジアコーサのフィアット128の方に強い影響を受けてますね。

128のコンセプトは、'64年に発表されたアウトビアンキのプリムラに範を取っているわけですが、おそらくあれがジアコーサが強い影響力を揮えた最後の「作品」だと思っていますが、如何でしょ。

ADO15とプリムラの間には5年の開きがありますが、一人の設計家が量産車の分野で名を成すことのできる最後の時期だったのかも知れませんね。

>某広島産スポーツカーなんてのは、その典型なんです。

(笑)。2世代続けてそのスポーツカーを所有した経験からいうと、ものすごくよくわかります。

>手ぬるい部分は残ります。

これは仕方の無い部分だと思いますが、現代の工業製品の意匠、機構、その他諸々を含む「デザイン」の現場に於いては、コンセプトを明確にし、如何にその情報を密度が高いままプロジェクトメンバーが共有してゴールへ向かうかという仕組みを整備するかが重要なんだと思っています。

そういう意味では、量産自動車の世界では、'70年代以降は「設計家」の時代から、「プロジェクトリーダー」の時代に移り変わったのカモ知れませんね。

nanさまごぶさたですm(__)m

>これは仕方の無い部分だと思いますが、現代の工業製品の意匠、機構、その他諸々を含む「デザイン」の現場に於いては、コンセプトを明確にし、如何にその情報を密度が高いままプロジェクトメンバーが共有してゴールへ向かうかという仕組みを・・・

全くごもっともなことと私も思います。

SONYの「ウォークマン」とかだと、なんかモックアップだされて「なにがなんでもこの大きさに!」とかあったのではないかと推察しますし。

ずいぶん旧い話ですが某【副業先】の「自動合焦小型カメラ3号機(笑)」(具体的固有名詞は類推ください・・)なんかは、やっぱり「デザインモック」見せられて設計チームが相当がんばったなんて話も聞いたことがあります。

とはいえ、どんどん「縛り」がきつくなっている今日この頃、そういう類の「逸話」がついて回るようなプロダクツは極々限られたものになっていくのではないかと危惧する次第です。

>全くごもっともなことと私も思います。

一応、技術の端くれのささくれに居る人間としては、自分で書いてて、こそばゆかったりするんですが(爆)。

>「デザインモック」

komiさんご指摘のカメラではありませんが、逸話といえば・・・

「コラーニさんの日本でのエージェントだったODSの通訳が魅力的な人でね。渡辺みなみさん。その後、ニュースステーションで(中略)彼女の才能もあって、ミーティングの出席者は、最初30人ほどだったのが最後には100人くらい集まって、席を取るのも大変だった。役員も顔を出していました」
キヤノン カメラ工業デザイン部部長 長坂亘氏(当時)
~「ニッポン・プロダクト」デザインの現場3月号増刊(美術出版社) より

と、いうことがあったそうで。
って、何故「ネタ」の部分だけを引用する>自分【バコッ★】。

>とはいえ、

komiさんの危惧ごもっともです。
ただ、その中でもどうやって創造性を引き出していくか、ってあたりが、プロジェクトマネジャーに求められる器量なんでしょうねえ。

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