ロッキードF-104J「栄光」
秩父別ファミリースポーツ公園構内に展示されていたロッキードF-104J「栄光」です。
1963年3月に航空自衛隊初のマッハ2級戦闘機として導入され、1985年11月に前期退役するまでの22年8ヶ月の間、日本の空を護った180機の中の1機です。
展示機のシリアルナンバー(S/N)は36-8552。ハセガワの1/48キットの箱絵にもなっている機体です。幾つか資料を当たってみましたが、このS/Nは現役時代そのままのようです。
垂直尾翼に描かれているのは、この機体が現役当時所属していた第2航空団203飛行隊のマークです。
バックの赤い模様が「2」と「3」を、真ん中のクマさんが「0」を表しており、クマさんのお腹に描かれた2つの赤い星は2空団隷下であることを示しています。
同隊は1964年6月に3番目のF-104J飛行隊として千歳基地で編成を完了。現在はF-15Jに機種転換していますが、このマークはそのまま引き継がれています。
同機を正面から見たところです。
この機体の設計者はロッキードの「スカンクワークス」の主、ケリー・ジョンソン。
彼が朝鮮戦争末期に朝鮮半島に展開する現場のパイロットにヒアリングした際、Mig15に脅かされたパイロット達から口々に「もっとパワーを」と聞かれたことが、F-104の設計にも影響しているといわれます。
この角度から眺めてみると、まさにエンジンに極端に薄い羽を付けただけといってもいいシンプルな成り立ちがよく判り、設計者の思想が伝わってくるような気がします。
#「シンプル」といえば、スカンクワークスのモットーは“KISS(Keep It Simple, Stupid!)” でしたね。
右の画像は同機の特徴でもある空気取り入れ口のショックコーン。頂角60°のこの円錐形の先端で斜めの衝撃波を発生させ、流入する空気の速度を減ずるための装置です。
同機の原型であるXF-104では装備されていませんでしたが、量産型の原型であるYF-104Aから装備されています。
当初、このショックコーンは秘中の秘であり、金属製のカバーを被せた状態か、修正された写真のみが発表されています。
機体全面が銀色1色で再塗装されており、オリジナルの無塗装の金属面を観察することは叶いません。
また、再塗装際に注意書き等が殆ど失われているのは残念です。
再塗装の際には、機首上面の防眩塗装も塗りつぶされていますが、ここだけでも復活させて欲しいところです。
左の画像で判るように、後部のペントラルフィンもありませんが、これは展示の際に損傷することを恐れて予め取り外されているのではないかと思われます。
全体的な程度は屋外展示機の標準でしょうか。
それほどマメに手入れされているようにも見えない割には、大きく荒れた部分も無く、許容範囲内ではないでしょうか。
個人的に航空自衛隊で使用した機体の中では最も好きな機体です。
道北TTDの行われたキャンプ場のすぐ脇で、そんな機体に出会えるとは全く予想もしていませんでした。
願わくば、最低でもこの状態を保ったまま、末永く大事にされて欲しいものです。
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コメント
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小学5年生の時、1年間だけ過ごした小学校が百里基地の隣で、
まさにF104が現役バリバリの頃でした。
朝礼で校庭にいる時にこいつが上を飛ぶと、先生の話なんて全く
聞こえなくて、少なくとも男子は空を見て機影を探したものです。
もちろん音の方向を見てもだめで、慣れるとどれくらい先の空を
探せば良いか分かりました。
基地の所為で校舎は防音2重ガラスにクーラーがついてました。
まだ家庭にも冷房なんて無い頃で珍しかったんですが、その
費用はとーぜん防衛庁から出ていた筈です。
F104を見るたびに、子供の頃の夏の青い空がよみがえるんですね。
投稿: akira isida | 2006/08/24 20:53
>ishidaさん
防衛問題として考えればいろんなこともあるのでしょうが・・
ただ単純に「F104をみると子供のころの青い空」の件になんだかじんとしてしまいました。
なんにせよ子供のころの強烈な印象というのはかけがえのないものだと思います。
今の子供たちには今の環境破壊とか、夏休みの空とかがどう映っているのかなあ・・と少し考えさせられてしまいました。
投稿: Komi | 2006/08/24 21:42