PF先生、さようなら。
本来なら、もっと早くエントリしなくてはいけなかったのですが、ここのところ多忙だったり体調悪かったりで、すっかり時間が経ってしまいました。
3月23日、元レーシングドライバーにして、世界的なモータージャーナリストである、PF先生ことポール・フレール氏がお亡くなりになりました。
実はその直前に届いていたCG CLUBの機関誌の最新号の中で、PF先生が闘病中とあり、心配していた矢先の報せでありました。
享年91歳。大往生といっていいお年ではありますが、晩年病に苦しまれたのは残念でありました。
それから1ヶ月余り。この間にCG CLUB会報は追悼特集となり、PF先生の「絶筆」となった911ストーリーが掲載されたCG誌45周年記念誌「CG 45+」も出版されました。
もうこれでPF先生の文章が読めないのだと考えると、いつか来るはずであったと判ってはいても、残念でなりません。
さて、ワタシが所属するCG CLUBでは、2度ほどイベントのゲストとしてPF先生をお招きしたことがあります。
その1度目の際、サイン会があるというので、思案の末、FC3Sのカタログを持参しました。
それはFC3Sがマイナーチェンジした際のもので、PF先生とニーノ・ヴァッカレラ、そして山口京一さんの対談が掲載されていたものです。
サイン会でこのカタログを見せて "Do you remenber?" とお聞きすると、ニコッと笑って "Yes" と答えてサインしてくださったことを、今でも覚えています。
そのときに名著「ハイスピードドライビング」にもサインしていただきましたが、そちらは思い出す度に何度も読み返して、自分の運転の戒めとしております。
ジャーナリストの立場から、世界中の自動車メーカーに助言をされたいたのは、皆さんご存じの通り。
日本ではマツダとホンダへの関与が大きかったのは周知の事実であります。
特にマツダロータリーに対しても常にシンパであり、RX-7についても多くの助言をされていたと伺っております。
近著でFD3Sについて、素晴らしい車だが、ちょっとスパルタンにしすぎた、と書かれていらしてのが印象的でした。
ところで、PF先生をよくご存じの方によれば、実は大変な健啖家だった由。
来日する度に日本食、特に鰻を召し上がるのを楽しみにされていたそうです。
そして甘党でもあり、日本の明治ミルクチョコレートの大ファンで、これがあればご機嫌だったとか。
あちらでも大いに食べ、大いに語っていらっしゃることでしょう。
最後になりましたが、改めて心よりご冥福をお祈りいたします。
PF先生、ありがとうございます。そして、さようなら。
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