グラマン/新明和ASR-544-4という幻の機体について
最近話題になっているアメリカ空軍の特殊作戦機MC-130Jを水陸両用化しようという話に因んで、それに因んで、The War Zoneに1970年代に計画されていた『エアクッション』付きのジェット水陸両用哨戒機についてのストーリーが掲載されていました。
エアクッションを降着装置に使うアイディアの存在は知っていましたが、まさかそれを使った機体をグラマンと新明和が共同開発していたということは知りませんでした。
リンク先の記事ではマーチンP6Mシーマスターに似ているとありますが、BLCシステムの使い方などから、PS-1/US-1をジェット化した機体のように感じました。
どこかで歴史のいたずらがあれば、海上自衛隊もP-3CやUS-2を採用することはなく、このASR-544-4がPS-2/US-2になっていたかもね、という『来なかった未来』のお話を訳してみました。
エアクッション哨戒飛行艇にアメリカと日本が取り組んでいたことがあった
グラマンと新明和は、ジェット推進の飛行艇とエアクッション装備を組み合わせた機体を共同で提案していた。
70トンのジェット推進の海上哨戒機を爆撃によるクレーターだらけの滑走路や、整備されていない仮設飛行場、低木地帯、海面、あるいは氷上からも運用可能だろうか?
グラマン/新明和ASR-544-4は、日本や、その他のオペレーターにも供給される可能性があった提案で、特筆すべき多用途性を備えた高性能な対潜機であった。
残念なことに、この冷戦期のプロジェクトは図面だけで実際に作られることはなかったようだが、この急進的なコンセプトは試験によって保証されたものだった。
このアメリカと日本の共同プロジェクトは、ベル・エアロシステムズが開発した斬新なコンセプトのポテンシャルを基にしていた。それが、エアクッション着陸システム、またはACLS (Air Cushion Landing System)と呼ばれたもので、レイクLA-4軽水陸両用機で最初にテストされたといわれている。
1960年代末から1970年代にかけて、殆どの地表から運用可能にすることを保証するゴムボートのようなACLS装備を航空機に取り付けるための数々の実験が行われていた。
この方法でACLSを取り付けた航空機は、車輪付きの降着装置やスキー、フロート、またはボートのような胴体なしで、真に水陸両用化できた。
ACLSは、地上(または水上)でエアクッション装置に効率的に変形する空気注入式のバッグを機体の下部に用いていた。
ゴムスカート内部にある数千個のノズルから放出された圧縮空気を用いて、これを膨らませて空気の層を形成し、文字通りその上に機体を浮かせていた。
組み込まれた『枕』は、着陸時にゆっくりときたいの下部に展開して、ブレーキとしても機能した。
機体が駐機、または水面に浮かんでいるときには、内部の袋はノズルを切り離していた。
このアイディアを軍事利用するテストのために、アメリカ空軍とカナダ貿易産業省はベルと共同で、デ・ハヴィランド・カナダDHC-5バッファロー双発ターボプロップ短距離離発着輸送機にACLSに取り付けた。
ACLSを膨らますための圧縮空気供給用に2基のターボプロップエンジンが追加されていた。
XC-8Aと『パッファロー (Puffalo)』というニックネームで知られたエアクッション付きバッファロー改造機は、ACLSを使用して1975年3月に初飛行している。しかし、システムを完全に膨らませて着陸したかどうかはわからない。
全般的に見て、固い地面上で擦り切れたり剥がれたりしがちなその機体のゴム製エアバッグの寿命が、やはりこのプロジェクトの最大の懸案だったようだ。
それと同時に、計画中だった海上哨戒機の多用途性を大幅に改善する方法として、ACLSはグラマンと新明和の目に留まった。
1973年のASR-544-4提案の中では、この航空機は主に海上から使用されることになっていたが、それ以外に良好、不良な滑走路を含む地上でも扱えることも期待されていた。
優雅な104フィート(約31.7m)の高くマウントされた後退翼と、後退したT形尾翼を持つASR-544-4は、1950年に試作されたジェット飛行艇マーチンP6Mシーマスターを連想させた。
エンジンの取り付け方法は変わっていて、2基のターボファンは主翼上の根元近くに取り付けられ、3基目のエンジンは尾部に埋め込まれていた。
2基の主翼上のエンジンの排気は、離陸時の性能を改善するために15度下向きに角度が付けられていた。
111フィート(約33.8m)の機体は、10名の乗員のために作業用席や休憩場所、寝台、ギャレー、およびトイレ等の空間を持っていた。
機首内のレーダーと、主翼端のフロート内の海中の潜水艦を探すための磁気探知機、これに加えて内蔵ソノブイを含む任務用機材が計画されていた。
2つに分離された機体下部のウェポンベイには最大8本の魚雷を運ぶことが可能で、更に対艦ミサイル用に主翼下のステーションも用意されていた。
最終的に機体下部のACLSは、長さ44フィート(約13.4m)、幅24フィート(約7.3m)で最大深度は6.7フィート(約2m)に及び、使わないときには完全に格納可能だった。
クッションを膨らませるために必要な空気は機体後方にある2基の『共通動力パッケージ』から供給され、主翼表面上部に気体を流す離発着時の性能を向上させるための境界層制御システム用のブリードエアも同じエンジンで供給していた
静かな海上から向かい風で21秒で離水し、1,700フィート(約518m)の距離で空中に浮上することが期待されていた。
性能面ではASR-544-4は、作戦行動半径1,400海里(2,592km)で、12,000ポンド(約5.4t)以上の最大装備重量を持つことになっていた。
計画されていた最高速度はマッハ0.9と素晴らしく、プロペラ推進の同種のものよりも占位位置までに遥かに速く到達可能だった。
ASR-544-4の要求仕様目指したところは不明だが、1980年代に就役可能となることを想定して設計されており、1970年代初頭に就役開始していた対潜、および救難用水陸両用機である4発ターボプロップの新明和PS-1とUS-1よりも可用性の高い後継機として日本の海上自衛隊に供給することを想定していた。
興味深いのは、US-1が船体、フロート、および降着装置を持つ完全な水陸両用機だったのに対し、PS-1は水上にしか降りられない飛行艇だったことだ。
これらの機体も、ASR-544-4で計画されていたのと同様の、境界層制御システム用の動力を供給する独立したエンジンを持っていた。
水陸両用機と飛行艇の製造と運用に長い歴史を持つ日本は、1970年代までにこのクラスにおいてより先進的な機体に近付こうとしていたようだ。
ASR-544-4の生産が選択されていれば、これは地上を拠点とするSP-2HとP-2Jネプチューン、そして初期の飛行艇も置き換えることになったと思われる。
しかし、ネプチューンは最終的に1980年代初頭までに、より常識的な4発ターボプロップの哨戒機であるP-3Cオライオンに取って代わられることになる。
その頃、海上自衛隊は地上を拠点とする固定翼哨戒機と水陸両用機の両方を運用し続けており、最近では、後者は素晴らしい4発ターボプロップの新明和US-2が、僅かながら就役中である。
US-2の短い距離で離水する素晴らしい能力は、過去のThe War Zoneで見ることができる。
P-3も改良の後、海上自衛隊の部隊で生き延びてきたが、現在徐々に国産の4発ジェットの川崎P-1対潜哨戒機に置き換えられているところだ。
しかし、1960年代後半には既に哨戒水陸両用機に背を向けていたアメリカ海軍が、少なくともP-3と比べて、速度と滑走路の独立性という魅力的な性能を提供したとはいえ、ASR-544-4に役割を見いだしていたとは考えにくい。
ASR-544-4の性能と独特な運用特性が約束されていたのは紛れもなかったが、それを調達、運用するには高くつくことになっただろう。
その上に、異なる2種類の5基のタービンエンジンの保守にも課題があった。
現在ロシアは、あらゆる種類のジェット動力の水陸両用機の唯一の軍用オペレーターだ。昨年海軍に納入された最初機体がベリエフBe-200だ。
捜索救難を主目的としたこの機体は、ASR-544-4とよく似た大きさと構成だが、勿論、エアクッション降着装置よりも常識的な船のような胴体と車輪式の降着装置を用いている。
ASR-544-4の実用性を維持するのはより面倒なことになっていただろう。降着装置が無いので(PS-1で用いられている)ビーチングギアのようなものが、ACLSが膨らんでいない状態で長期間地上にある場合は、必ず必要になったはずだ。
乗員の乗り降りも少々やりにくかっただろうし、給油やアーミングはいうまでもないだろう。
結局のところ、アメリカやその他の場所で1990年代になってにも再検討が繰り返されてきたが、ACLSは試験や生産に到るほどの魅力的な応用先を見つけられなかった。
現在、このコンセプトは様々な異なる地表から飛行艇を運用する手段として提案されている。
1980年代には、アントノフAn-14多用途輸送機にACLSのような降着装置を取り付けたソヴィエトのコンセプトがあった。
面白いことに、ACLSが水陸両用版のMC-130JコマンドーII多用途戦闘輸送機を製作する現在進行中の試みの解決策としても提案されている。アメリカ軍は再びこのアイディアに接近しているところだ。
C-130にエアクッション降着装置を用いる研究は以前にもあったが、再び隙間を見つけて、同じコンセプトに日の目があたることになった。
閑話休題。ASR-544-4の設計は、真の水陸両用機を作り出す問題を再考する大胆なアプローチの証明だろう。
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