中野翆『コラムニストになりたかった』
画期的な女性誌だった。ファッション中心の雑誌であるにもかかわらず、「作り方のページ」がない。既製服(あるいは特注の服) ばかりで構成されたファッション誌 で、写真も動的で、新鮮な魅力にあふれているのだった<略>それまでは服を見せるというのが主眼だったので、どうしても写真は服の細部までわかるように、 スタジオ内での静的というかスタティックなポーズだったのが、『アンアン』では服の細部を見せることよりも、その服を着たときの魅力をストレートに見せるために動的なポーズであったり、コーディネートの面白さもあったり、背景がらみの生き生き とした写真ばかりなのだった。(P22『アンアン』の衝撃)
著者の半世紀にわたるライターとしてのキャリアを年度毎に回想する形式の半生記。
1969〜1990年は年毎に章が立てられているが、1990年代と2000年代は10年毎に章が立てられている。
そして最終章の2000年代は、このような文章で締めくくられている。
これから先、出版業界はどう変貌してゆくのか私なぞには、まるっきり予想がつかず、ただもう「私は出版業界の一番いい時代に生まれ合わせたんだなあ」と思う。 でも、メディアの形は変わっても、ベースはあんまり変わらないのかもしれない。 いつの世にも「ヒトコト言いたい人種」というのがいて、「ヒトコト聞きたい読みたい「人種」というのもいて、コラムニスト的な仕事というのは、今とはまた違った形で存在するのかもしれないとも思っている。(P239 いい時代に生まれ合わせた)
著者も述べている通り元気だった出版界がバブル崩壊と共に減速を始めたこと、そして特に著者が主な活躍の場とした雑誌の退潮も無関係ではないように感じた。
著者の半生記であり、あくまで著者の視点が中心であることに注意する必要はあるが、1970年の『アンアン』創刊以降の日本における雑誌メディアの内部、周辺に居た人たちの人物録としても面白く読める。
自身をミーハーとしながらも、世間が分からないという立場を変えてこなかったことが、著者のほかとは違う独特な時評、評論の内容につながっているということも再確認できた。
実は、著者の著作は久し振りに読んだが、相変わらずの文体や考え方などを楽しませてもらった。近作も改めて読んでみたい。
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