フォト

過去日記

ファンタジーリーグ

無料ブログはココログ

« 今年読んだ本 (その3・その他書籍。コミックを含む) | トップページ | 2024年に読んだ本 (その2・新書) »

2025/01/13

2024年に読んだ本 (その1・文庫)

年が明けて1月も中旬になり今更感もありますが、自分用の備忘録も兼ねて、昨年読んだ本を晒してみる。
簡単な紹介というか感想も記していますが、改めて読み直してのものではなく、記憶を辿って書いているものなので誤りもあるカモ。
まずは文庫本から。

丹下健三の文章を集めたものを2冊。



著者 : 豊川斎赫
岩波書店
発売日 : 2021-07-19
建築家としての『内部』と『外部』、そして日本の伝統との向き合い方、克服すべきだと考えていたことなどがよくわかるアンソロジー。
都市計画や大規模開発、大規模建築を手がけることの多かった建築家のため、その仕事からは読み取り難いところもあるが、基本的に簡潔で美しいものを旨としていたことがよくわかる。
下の同じ編者による『都市論』も併せて読むと、かの巨匠の考えていたことが立体的に見えてくる気がする。



著者 : 豊川斎赫
岩波書店
発売日 : 2021-10-19
上の『建築論』が、建築家はどうあるべきかという考え方の表明を集めていたもに対し、こちらは実践も含めたグラウンドデザインの考え方を集めたもの。具体的なプロジェクトのディテールに触れている箇所も多く、おそらく初出時はあった図版が省略されているのは残念。



著者 : 中野翠
筑摩書房
発売日 : 2017-09-06

著者らしい視点での落語評、落語論というか、それよりも気楽な落語にまつわる随筆。
著者がどういったタイプの落語と落語家が好きかがよく分かる。あと、間抜けなことに対する愛も。

昨年惜しまれつつ亡くなった松岡正剛氏関連書を2冊 (1冊はムック)。




著者 : 松岡正剛
朝日新聞出版
発売日 : 2023-10-06

闘病中ということは聞いていたけれど、亡くなるとは思っていなかった時期に落掌、読了。
一応、著者も増補部分について言及しているが、オリジナル版を読んでいないので、どの程度変わっているのか正確なところは判らない。
それでも、今読んでもその内容に古さを感じずに通用するというのは、元々の考え方が普遍的なものであるということを感じた。
この中で著者も触れている通り、編集という作業は書籍やメディアに限ったものではないため、一見無関係に見える分野でも参考にできることは多そうである。




著者 : 荒俣宏
青土社
発売日 : 2024-10-28

そして、こちらは没後に出版されたユリイカの特集号。
自分はあまり意識してはいなかったのだけれど、色々なところで氏の関わった書籍、メディアに間接的に触れてきたということを再認識。
評論の中では、氏の手法は新しいものではなく、戦前の宣伝研究から連綿と続いているものという見方が面白かった。

 




朝日新聞出版
発売日 : 2023-01-10

昨年はあまり時評的なものを手に取ることは少なく、軽い読み物を求めていたような気がする。
これもそんな気分の中で選んだ1冊。著者のことを初めて知ったのはJsportsの "FOOT" という番組にゲスト出演されてJリーグのサポーターについて語られていたを見た時 (それにまつわる著書もあり)。視点の面白い人だとおもっていたけれど、小説をあまり読まなくなっていたので手に取る機会はなかったが名前は記憶していたので、書店の店頭で平積みされていたこの本のタイトルに惹かれて落掌。
タイトルの通り、12ヵ月毎に季節感があるようなないような、いい意味で緩い著者の生活体験エッセイ。独特の雰囲気のある文体を持っていて、不思議に引き込まれてしまう。別のエッセイも読んでみたいとおもいつつ、まだ果たせておりません。

考現学という学問の創始者兼、実践者の著者による随筆集。
ジャンパーという作業着を作業着としてだけでなく、普段着、外出着、要は日常何時でも着るようになったきっかけから、周りの反応とそれに対する反発から、末には「ジャンパーの先生」と呼ばれるまでになり、ジャンパーが正装になるに至るまでの物語。
こうして書いてみると、常識を破壊するタイプの人物のようにも思えるが、ご本人は至って常識的な人物。そんな人物が感じた衣類についての疑問、そしてそれを長年に渡って人からとやかくいわれなくなるまで実践したことを読みながら、常識とか自由とか色々なことを考えさせられた。

同文庫から食べ物に関するエッセイ等を集めたアンソロジーシリーズの1冊。
以前、平凡社から出版されたアンソロジーを読んだときにも感じたことだが、コーヒーをテーマに様々なアンソロジーを編むことが出来るということは、コーヒーがそれだけ人々の生活に密着しているのだろう。
しかし、味噌汁、牛乳等をテーマでアンソロジーを編むのは難しそうなので、ある種の特別感もあるということも認識したりして。

片山先生が編集者に対して、一人の大音楽家をテーマにして語った講義録。
そこには単に音楽家本人とその作品の解説だけでなく、それにまつわる片山氏自身の音楽体験の回想も読みどころかもしれない。
高校卒業までは現代音楽愛好家だった氏が、大学に入学したら話が合う人がいなくて驚き、矢張り古典を聴かなければならないのかと思ったという話が好きです。

筆者が日常で感じたことをまとめた、筆者らしいエッセイ集。
個人的な感想としては、、やや小言が多いような気がしたが、これに共感できるか否かで評価は変わりそう。

本邦におけるメディアミックスの先駆けである角川映画は、あくまで本業の書籍を売るための手段であったことがよくわかる。
それが進んでいく中でアイドルの登場と角川春樹の映画への関わりの変化。角川春樹があまり興味を示さなかったアニメに対して、彼が退場後は角川にとって重要なコンテンツになっていくといった変化も興味深い。
この主のドキュメンタリーは、つい当事者の証言を重視しがちになるが、そこによらないことで客観的にまとめられている気もした。

新訳、初の文庫化。それだけなら手に取ることはなかったが、巻末の訳者のコメントに惹かれて落掌。
古くなっているようで、案外現代にも通用する部分が多いことを再確認。

これ一冊だけから判断するのは危険かもしれないが、この人は徹頭徹尾『愛国者』であったという感想を持った。
但し、彼の愛国心と、その行動は民族主義等に根ざしているのではなく、合衆国憲法とその理念が統治する世界を信じて、それに殉ずる人生だったのではないかと強く感じた。
その一方で、政治的にはイノセント過ぎたのが、失脚に繋がったのもよくわかる。
よく水爆開発に異を唱えた点から反核主義的に捉えられることもあるが、実際には原爆の数的、質的優勢を確立することが、水爆開発よりも優先すると考えていただけなので、その辺りは誤解しないようにする必要もあるだろう。

単行本出版時に話題になり買おうかと迷っていたら、文庫化されたので手に取って見た (何年迷っていたんだというのは、ここでは捨て措く)。
内容は割と緩いようにも感じられるが、文庫化までの間に既に失われている建物も多く、記録しておくことの重要さを改めて感じさせられる。

書名は知っていたが、これが初見。
現在のインターネットが世界をつなげて狭くし、人々の生活を変容したことは、ここでいうまでもないこと。しかし、同じように世界を変えた技術として、電信、電話があったというお話。
今起こっている変革は全く新しいものではなく、かつて別な技術、サービスの普及によって世界に起こったことが、姿を変えて繰り返されているものであり、それによる功罪の発生も似たような傾向を見えているということに気付かされる。おそらくはそれは今後も繰り返されると思われるが、次に革命をもたらす技術が何だろうと考えてみる。

タイトルだけ見ると、太平洋戦前から戦後にわたる食糧事情の悪い(困窮していた)時期でも、大衆は食べることに関する工夫を欠かさなかったことを記しているようにも思える。
確かにそのような内容も多く、驚くものもあるが、それ以上に生鮮物の流通手段の変化につれて、それまでは一般には食べられなかったもの、好まれなかったものが大衆化すると同時に、人々の嗜好の移り変わりが描かれている部分が印象に残った。
特にマグロの食べ方の変化が興味深く、今では当たり前だと思われていることが、かつては非常識であったということが、案外身近にもあるということに気付かされる。




著者 : 柴田元幸
朝日新聞出版
発売日 : 2013-04-05

翻訳という作業はAIに取って代わられるということもよく聞くが、『質の良い』翻訳をするというのは、それほど簡単なことではないということがよく分かる一冊。
大学での講義録で、実際の翻訳スキル的なことよりも、文学の翻訳家が何を考えながら翻訳しているのかを垣間見る方に価値があるように感じた。

クマと人間の関係についてその答えを出してくれる訳ではないが、ある種の知見を与えてくれる一冊。
クマ狩りだけでなく、アイヌ文化にも触れられるが、狭い地域でも風習の違いがあることを知る。

待望の文庫化が話題になった『百年の孤独』。
この世界的名著を『代わりに読む』という奇書。
しかし、著者にそれを動機付けた『百年の孤独』は、それ以上の奇書カモしれないと読後思うなど。
(勿論、底本は未だ未読です)

谷崎潤一郎関連書を2冊。

山口晃画伯の挿画に惹かれて手に取った一冊だが、その挿画の素晴らしさは本編の面白さあってこそだと納得。
千鳥磊吉という作家の体験を基にした小説の体を取っているが、いうまでもなくこれは谷崎とその家族が邂逅した『女中』達の物語。

『あとがき』で触れられているように、今の感覚ではキビしい内容もあるのは確か。それでも単に小説とか谷崎の体験談としてだけでなく、当時の風俗も感じられる一冊のように感じた。

実は『台所太平記』の挿画は、このアンソロジーの為に書かれた『マンガ』から抜粋したもの。『台所太平記』については、こちらも面白いが、やはり『本篇』あってのものだということを再確認。それでも近藤聡乃氏と山口氏の対談とかもあるので読んでおいて損はない。
その他の作品は選ばれている題材が題材だけに、読み進めるのが辛い部分もあるが、各作者『らしい』解釈を見せてくれているのも楽しい。

次は百閒先生関連を3冊。

「なぜ死んだ。馬鹿」
自らの落ち度で命を落とした訳ではない故人に手向ける言葉ではない。しかしその言葉を吐かずにはいられないほど動揺し、悲しんだ百閒先生の故人への深い愛を感じる言葉でもある。
その他にも百閒先生らしい追悼文が並ぶが、中でも親しい間柄であった宮城道雄氏を悼む文章は、百閒先生の痛みが伝わって来て切ない。

美食ではない。しかし悪食でもない。懐は寂しくとも食べたいものを食べるという先生のいじましさが伝わってくる。

日本郵船の嘱託時代に同社の客船で台湾旅行をした際の寄港文集。
相変わらず百閒先生は無邪気だが、台湾への渡航も含めて無邪気でいられた時代の記録として読めるかもしれない。

珍しく話題になったベストセラーを手に取ることもある。話題になり売れたのも頷ける内容。
皇族、しかも男子であれば皇位継承者の序列に入る立場(実際、宮家の顔でもある)の人物の留学記として面白がられている向きもあるが、留学と学位取得に対する覚悟について考えさせられる書でもあった。

音楽家にして名随筆家の石井好子氏の随筆を2冊。

氏の文章については、話には聞いたことはあったが、読むのは初めて。名随筆とうたわれる理由がよくわかる。
2冊共、今でいうところの『キラキラ生活』の記録とも読める。それでも一切嫌味を感じないのは、筆者のいい意味での無邪気さと、行間からにじみ出る人柄故か。

タイトルに惹かれた、所謂『ジャケ買い』。
仮想と現実がテーマ。

この本の中にあるように、仮想が現実のようになったとき、人の幸福とは一体何なのかを問われた気がした。仮想でなければ発揮できなかった能力を持つ人にも、現実の世界でありのまま生きろといえるのか。或いはその逆はどうか。
答えの出ない問いを前にしながらも、山手線の明るさと中央線の純情さに救われた気がした。

« 今年読んだ本 (その3・その他書籍。コミックを含む) | トップページ | 2024年に読んだ本 (その2・新書) »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック