1967年ディーノ206GT(Dino 206 GT)です。
公式パンフレットでは「フェラーリ・ディーノ」となっていましたが、ここでは「フェラーリ」の名前は省かせて頂きました。

まず、このモデルを紹介するためには2人の人物を取り上げる必要があります。

1人はフェラーリの総帥エンツォの息子であるアルフレディーノ。
彼はモデナの工業高校を経てボローニャの大学で工学士を取得後、フェラーリに入社、父親と同じ道を辿ることになります。
もう1人はヴィットリオ・ヤーノ。
1954~1956年当時、F1の成績が振るわなかったフェラーリを立て直すために、エンツォはスクーデリア・フェラーリ時代からの旧知で、当時はランチアで辣腕を振るっていた名エンジン設計者を呼び戻します。

この2人が構想、設計したのが、この車にも搭載されている2.0L 65°V6の基となる「ディーノ」ユニットです。
元々は1950年代のF2レギュレーションに適合させるために開発されたものですが、このユニットは、206SP等のプロトタイプスポーツカーに搭載されて活躍しただけでなく、排気量を拡大して当時のF1(2.5Lフォミュラー)にも搭載されました。
1958年には、このエンジンを搭載した246F1駆るマイク・ホーソーンの手によってチャンピオンを獲得しています。

当時、V型12気筒エンジンを至上のものとし、他の形式に興味を示さなかったといわれたエンツォがV6という形式を認めたのは、この2人に対する信頼故だったともいわれます。

ちなみにこの名ユニットの計画に係わったアルフレディーノは、1956年6月に白血病のため、24年の短い生涯に幕を閉じます。
そのV6ユニットが完成したのは同年の11月。以降、このユニットは彼の愛称である「ディーノ」の名前が冠され、このエンジンを搭載したモデルにも、その名前が冠されるようになったのはご存じの通り。

その後、1965年にピニンファリーナが発表したショーカーに端を発する「ピッコロ・フェラーリ」の計画は、1967年にこの「206GT」として実を結ぶことになります。

元々この計画は、アルフレディーノの「12気筒モデルだけでなく、もっと手頃なモデルも必要」という進言によって産まれたといわれていますので、彼の名前を車名に抱くことは当然のことでしょう。

ちなみにディーノ・ユニットを搭載するモデルは、一部の例外を除き「フェラーリ」の名前が付きません。
これは、ディーノの死にまつわるものだとも、12気筒以外はフェラーリとは認めないエンツォの考え、等々、諸説がありますが、未だ「正解」は見つかっていないようです。