1981年BMW M1です。
こちらも毎年参加されている車です。

発表は1979年のパリサロン。現在でもBWMのホットモデルに付けられる“M”(モータースポーツの意)を冠した最初のモデルでありました。
当時のGr.4/5でポルシェの対抗馬となるべく企画された車で、エンジンはBMW自慢のツーリングカー選手権向けの3.5CSL用をジャンパオロ・ダラーラ設計によるシャシーに搭載し、イタル・デザインによるスタイリングを纏い、BMWの高品質を備え持つ「スーパーカー」でありました。

#BMW、ランボルギーニの両者は、ダラーラの関与を公式に認めていませんが、ファン、研究家の間ではよく知られた事実です。

Gr.4のレギュレーションを満たすため、年産400台、2年目で800台を生産する計画でしたが、共同生産を予定していたランボルギーニ社が経営不振に陥ったため、急遽フルア社との協業に変更したものの、生産能力が追い付かずに計画通りにはいかず、結局は1978~1981年の間に456台が生産されるに留まりました。

このため、当初計画されていたレースやラリーへの参戦も、Gr.4の認可が取得できなかったため、一部のプライベーターがGr.5で参戦したり、F1 GPの前座での「プロカー・レース(M1のワンメイクレース)」等に出場する程度に留まりました。

歴史に「たられば」はありませんが、もしもランボルギーニの経営不振がなかったら、或いはランボルギーニに代わって予定に近い生産能力を発揮できるパートナーが見つかっていたら、ツーリングカーレースの歴史は、我々が知っているのとは違うものになっていたかも知れません。
そしてBMWのラインナップも、もしかしたら今とは違ったものになっていたのかも知れません。