
我々が長く日産のマークとして親しんできた、円を1本の帯が貫く意匠は、昭和12(1937)年に制定された同社の社章に由来するものです。
このマーク、日立製作所の社章に似ています。
気になったので調べてみました。
昭和初期、日立製作所はパトロンである久原鉱業の不振から日産コンツェルン傘下に入っています(久原鉱業オーナーの久原房之助の義兄が日産コンツェルン総帥・鮎川義介であった関係)。
ちなみにあちらは社名の「日」、「立」の文字と、創業時の主力製品であった電動機を図案化したのはご存じの通り。正確な年月は判りませんでしたが、こちらは明治期に制定されていたと記憶しています。
以上から日産自動車の社章制定は、日立製作所が日産コンツェルン傘下に入った後となります。
そのため、日産コンツェルン傘下会社の社章制定の際にも影響があったのではないかと考えたのですが、調べた範囲内ではよくわかりませんでした。
これについてもご存じの方がいらっしゃいましたら、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。